前回の「振り返りの会6」では、

セリフを練習することと似た状況として、

武道と整体の型で少し書いてみた。

型そのものも意味があり、重要ですが、

パターンが大事なのではなく、

個人的な身体に対応するために

型で体を造るということでした。

 

 

セリフで言えば、言葉自体が重要なのではなく、

役の人物の思いや感情、相手との関係

を伝える道具としてセリフを使っているので、

その内側が伝われば、

セリフの正確さや言葉の組み立ては問題ではなくなる。

 

 

ただ、問題でなくなるのは、

相手や周りの役者さんがそれに応じている場合で、

セリフを正確になぞっているだけの人達は、混乱してしまう。

アドリブに強いという人は対応できるが、

その対応も二種類有る。

 

 

ひとつは、役の身体から出てくる思い・感情で反応し、

対応する場合

もう一つは、こちらの方が多いのではないかと思うが、

達者な人であれば、「この場合はこうする」

という引き出しをたくさん持っている。

それで合わせることができるので、芝居を潰さずにすむ。

一般的に即興というのは、この場合が多い。

しかし、一見即興的に言葉のやり取りができていて、

スムーズに芝居が進んでいても、

相手との思いや感情は出てこない。

 

 

スマホを操作している人同士の会話を聞いていると、

会話は成立しているが、お互いに交流している感じがしない。

あるいは、話をしているのに、

相手がスマホを操作していると、

返事は返ってくるが、ちゃんと聞いている気がしない。

そんなことで事件も起きる。

芝居で、状況に合わせた引き出しを出すだけでは、

ツジツマは合うが、スマホと同様に、

言葉や行動の奥にある、

伝えたい・関わりたい衝動・気持ち・感情が見えない。

 

 

 

それらの奥にあるものを考えると、

「引き出し」というパターンや技術では、

見た目には対応できているように見えるが、

常に変化している相手や周囲の人の身体に対応しきれない。

そういう意味で、人は「同じことはできない」と言える。

 

 

おとあそび工房では、

引き出しやパターン・技術ではなく、

奥にある関わりが根底にあるため、

舞台から生命が溢れ出してくるのだろう。

 

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