前回の続きです。
私が鈴木さんのお話を聞かせていただいて、
疑問に思ったところがあった。
振り返りの会の終了後、
鈴木さんとお話をする機会があり、
疑問に思ったことを直接聞くことができた。
その場で、やはりそう違ったことをしているわけではない
という結論に落ち着いたが、
そのことを書いておこうと思います。
「人は同じことを続けることはできない」という言葉。
これは、「飽きてしまう」
=芝居や台詞に身が入らない
=芝居の質の低下
ということで、
「惰性」として「同じことはできない」というように感じた。
作品ということで考えると、そうかもしれない。
おとあそび工房でも、
同じ設定のものだと、安心感はあるものの、
緊張感は薄れてしまう。
しかし、人と人の関係で考えると、意味が違ってくる。
「同じことを続けることができない」のは、
「飽きる」からではなく、
「生きているから」という、当たり前の前提からすでに、
“同じことはできない”ことになる。
生きていることは、時間の変化が伴う。
時間が経てば、機械でも使い続ければ磨耗したり、
微妙な誤差が出たりする。
だから定期的に点検をする。
しかし、機械は、ある程度長期的に同じことをするために作られる。
人間にとって時間は、一瞬が変化をもたらす。
「さっき泣いた子が笑う」ように。
瞬間瞬間の刺激によって身体は反応し、
その刺激を無視して同じ状態を維持し続けることはない。
ちょっとした匂い・音、風、場の雰囲気、入ってくる情報、
人の意識的な対応・無意識の反応。
そういったものを無意識に敏感に身体は感じ取り、
神経・運動・生理反応が変わる。
それに伴って意識的な感情・思考・行動が変わる。
つまり、一瞬として同じ身体はない。
同じ身体でなければ、表面的に同じに見える行動も、
行動の中身は同じではない。
表面に出ている「ことば」や「動き」は同じように見える。
しかし、同じように見えるのは、
身体の微妙な変化が見えないからで、
同じように見える「ことば」や「動き」の中身は違っている。
その違っているものに反応しなければならないので、
当然、違う反応になる。
だから「同じことはできない」と言うよりむしろ
「同じことをするのは不可能」と言うべきかもしれない。