前回、障がい者の人と一緒にするアート活動と、
おとあそび工房で私が見た,
障がいのある人と“共に”という印象の違いを書いた。

 

「一緒に」と「共に」の何が違うのか?
「一緒に」だと、その場に一緒に居ればいい。
何かを一緒にやっているが、
それぞれ思い思いに“自分の”仕事をしている。

 

それぞれがやりたいようにしていたら、ぶつかるだろう。
と、思うかもしれない。
しかし、ぶつからない。
気を使ってお互いを立てているからだ。

 

気を使っているということは、
ちゃんと交流しているという事だと思うが、
そうではない。

 

“自分の思う気”を使っているから、
自分の思う“気”の使い方しかできない。
相手にとって「気に入る・気に入らない」
「合う・合わない」ではない。
「相手が気に入るだろう・合うだろう」と自分が思う事をする。

 

相手も、自分に気を使ってくれていると分かるから、
多少、気に入らない・合わないものでも、
(意識的に合っていると思っていても、
無意識には拒否している場合も多い)
私は、気に入って・合ってますよという反応を返す。
発信した人が安心する様子を確認する。
発信した人は、それでOKだったと思う。
これをお互いに行なっている。

 

何が悪いのか?
お互いが気遣いし、ぶつからない。気を悪くしない。
事もスムーズに運ぶ。
しかし、お互いに気を使いながらなので、
そのスムーズさには微妙な違和感が出る。
「出来すぎている」という感じ。
当然、嬉しい。楽しい。
だから、その違和感には、なかなか気付きにくい。

 

[振り返りの会15~「観察2」流れの設定]でも書いたが、
これが、メンバーの、一人が言っていた、
「あざとさ」の正体ではないかと思っている。
(写真撮影:中島諒)

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