前回は、福祉の部分での「観察」として、
あくまでもマニュアルとしてあり、
問題は余り起こさずに進んで行ける。
そして順調に仕事を進めることができる。
しかし、問題の対処はしているが、
そこに、人と人との関わり・交流はない。
ということを書いた。
これは、私が仕事としている整体も同じである。
来院された方の主訴
(ここが辛い・痛い・調子が悪いなど)の状態に対して、
あるいは、肩・腰・首・骨盤など部位に対して、
それぞれの技術がある。
しかし、「この場合はこれ」と
妄信的にその技術を使っても上手く行かない。
もちろん、伝わっている技術・操法が間違っているのではない。
それを行なう技術力の問題でもない。(その場合も有るが)
しっかりと主訴の状態や、その状況などの話を聞き、
動きながらからだの痛みや緊張の確認をしたり、
原因の予測を立てたりする運動分析をする。
「観察」の部分である。
しかし、思うように進んでいかない。
調整を進めている間に、
受けている人の身体は、どんどん変化していく。
最初の「観察」で把握した所から離れていく。
「観察」で得たことに固執してしまうと、
その変化に対応できない。
一つの技術・操法によって変わっていくのではなく、
触れている瞬間・瞬間に変わって行く。
だから、次の技術・操法を考えていては追いつかない。
そういったことは、理論だけでは、
いくら説明しても理解してもらうことは難しい。
経験し、体感する。
経験していても、無自覚にやっている場合があるので、
(自分ではそんなことをしているとは思っていなくてもしている場合)
その実感を認識して初めて納得できる。
だから、人に伝わりにくい。