さて、今回の振り返りの会で、最も注目が集まった言葉「観察」。

 

まず、ジル・クレマンの「動いている庭」では、

植物の性質・特質、そして場所の条件、その相性を観察し、

それに合わせて植物を移動させると、

一つの島のように似た性質、種類のものが集まって成長していく。

 

 

 

福祉関係の立場からも「観察」の重要性が語られた。

私は、専門ではないので、批判もあるかもしれませんが、

福祉では、対象の人の性質・嗜好・行動パターンを観察することで、

その人を理解し、対応の対策が立つという所だろうか。

 

大きくは、「動いている庭」と福祉という二点から、

「観察」という言葉に、参加されていた多くの人が響き合った。

 

 

 

しかし私は、「観察」という言葉にかなり違和感を覚えた。

 

まず、自分が「観察」される側だと考えると、

居心地の良いものではないと思ったこと。

 

そして、おとあそび工房での即興は、

「観察」では間に合わないことをしていると感じていること。

 

「観察」に関するこの違和感は、人の関わり合いの根本があり、

芝居・芸術でも福祉でも、

本来、最も重要な部分なのだろう。

 

そういった思いが有ったため、

武道を例に「観察では遅い」

と意見を述べたところ、

「観察」で丸く回りかけていた場の空気が止まり、

触れてはいけないところに触れて、

急に角を作ってしまった気がした。

 

 

 

それはまず、正確に伝えられなかったため。

そして、理論で説明できても、

体感がないと理解できない、

あるいは、体感していても判りにくい部分であるため。

 

ともかく、会場全体の雰囲気からは、

封印されたように感じてしまい、

それ以上、話すことはしなかった。

 

決して、「観察」が不要だと思っている訳ではない。

おとあそび工房でも、「観察」することで、

より深く相手を理解し、

心地良く表現しやすい場の設定を作りやすくなる。

 

むしろ、流れを作り出す際は必要であるとも思っている。

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