「あそび」について少し書いたが、
おとあそび工房の公演で、
人が“あそんで”いるのを観て楽しいのだろうか?
という疑問が出てくる。
ただ、傍観、それこそ、“観察”していては、楽しくないだろう。
“あそび”に夢中になっている子どもが、
何が楽しいのか分からず、
せっかく作ったご飯が冷めてしまう。
忙しくて、やらなければいけないことがたくさん有るのに。
などと考えているお父さん、お母さんのように。
“あそび”に夢中になっている子どもと、
イライラして待っている大人の間に何があるのか?
まず、価値観が違う。
価値観が違うと、その面白さは分からない。
子どもが楽しいと思うことと、
大人が楽しいと思うこと。
子どもにとっては夢中になることでも、
おとなにとっては「そんなこと」である。
勉強に夢中になっている子供は怒られない。
勉強は、大人の価値観に合っているから。
そして、空間が違う。
子どもと一緒に遊んでいても、
大人は、子どもの相手をしていることが多い。
子どもが楽しむことに、手を貸しているだけで、
子どもがあそび、浸っている世界に入っていない。
こうしたら子どもは喜ぶかなということは考えたりする。
それは、“あそび”の中には居ない。
怪我した時のことを考えて傍に居るが、
他の人とおしゃべりをしたり、スマホを観ていたり、
別のことを考えていたりする。
怪我した時には間に合わない。
“共に”遊んでいるのではなく、ただ、一緒に居る。
さらに、流れている時間が違う。
大人でも、何かに集中していると、時間が経つのが早い。
いつの間にか時間が過ぎている。
子どもの“あそび”の時間は、そんな速さで流れている。
逆に“あそび”を見ている大人は、
集中していないので、時間の流れが遅い。
だから「いつまでやってんねん」と思ってしまう。
この、価値観、空間、時間が違うので、
子どもの“あそび”を見ていても面白いとは思えない。
(撮影:中島諒)