さて、その稽古会に参加し出して続けていると、
いつの間にかその会の代表をやることになりました。
その後少ししてから三上先生から、
「ワークショップにしょっちゅう呼ぶのも大変だから、
こっち(大阪)で自分たちでやって行って良いよ」
と言って頂いた。
まだ10回も受けていないのではないだろうか。
そんなに動きを確認してもらったわけでもないので驚いたが、
「動きはずっと追い求めて、でも考え方は理解しているからそれで良い。
迷ったら『原初生命体としての人間』に帰れると良い」
というようなことを言って頂いた。
当時は、「野口体操からだの教室」という名前で活動していました。
「からだの教室」は、三上先生が大磯で舞踏の基礎としての
からだほぐし・心ほぐしとして主催されていました。
それで、関西支部ということで活動していくことに許可を頂きました。
いちおう、関西支部代表として主催をしているが、
元が稽古会の形で出発したので、教えるというよりも
来ている人達と動きながら、できるところのアドバイスをするという感覚でした。
三上先生にみっちり着いて学んだわけでもないので、
自分の野口体操としての動きに関しては、
不安を抱えながらやってきました。
それでも、長い間続けてくれる会員さんも居て、本当に感謝しています。
稽古の場を本町の愛日会館に移しました。
その後、整体学院・整体院のインストラクターとして働いていたビオネ、
そして、池田で〇塾(わじゅく)を主催していた宇高さんとの縁から、
〇塾さん主催でも共に月に一回で「からだの教室」をさせて頂くようになりました。
ビオネでの教室は、私が退社した際に終了しましたが、
本町と〇塾で、人数は少ないながらも続けていました。
ただ、三上先生にみっちり指導を受けていないというので、
野口体操をされている他の方達から観たら、
自分の動きはどうなんだろう?という疑問、
コンプレックスは持ち続けていました。
そんな頃、外国で活動さえているダンサーの長内真理さんが、
大阪、しかも近所でワークショップをされるという情報を得て、
良い機会だと思い参加しました。
開始まもなく、「野口やってるの?」と長内先生に聞かれたので、
「三上宥紀夫先生に教えて頂いて、大阪で教室をやっています」とこたえると、
「それらしい動きをしていたから」と言って頂き、
少しホッとしたのを覚えています。
その後も長内先生には気に掛けて頂いています。
その頃、野口三千三先生の教室を引き継がれている
羽鳥操先生に、一度ご挨拶に行こうと決心しました。